こんにちは。いりこです。
プロコフィエフの「戦争ソナタ」。ピアノソナタ第6番・第7番・第8番、あわせてこう呼ばれる3曲です。
筆者とこの3曲の付き合いは、数年がかりでした。
最初はどこかで名前を聞いて、聴いてみたのがきっかけ。ただ正直、はじめは筆者の理解を超えていました。。。。独特のリズム感に、聞き慣れない和声。おまけに「戦争ソナタ」という世にも恐ろしい愛称、笑。とっつきにくい要素が満載です。
それでもコンクールなどで繰り返し聴いているうちに、少しずつ輪郭が見えてきて。最近ようやく全容がつかめた瞬間に、一気に好きになりました。いまは毎日のように聴いています。
そして気づいたんですね、あの「とっつきにくさ」こそがこの曲の魅力で、いま感じている果てしない「かっこよさ」と地続きだということに。
とっつきにくいのに、かっこいい。いや、とっつきにくいからこそ、かっこいい!
この記事では、「なぜこんなにかっこいいのか」を、いち愛好家がわかる範囲の本気で紐解いてみます。あわせて名盤の紹介と、弾いてみたい人のための楽譜選びまでご案内します。
「戦争ソナタ」とは――まず知っておきたい基本
- ピアノソナタ 第6番 イ長調 Op.82(1940年完成)
- ピアノソナタ 第7番 変ロ長調 Op.83(1942年完成)
- ピアノソナタ 第8番 変ロ長調 Op.84(1944年完成)
プロコフィエフは全部で9曲のピアノソナタを書きました(第10番は未完)。そして、第5番と第6番のあいだには、実に16年の空白があります。長いブランクを経てソナタに帰ってきた第一弾が、この円熟期に書かれたこの第6〜8番、総称して「戦争ソナタ」と呼ばれています。
プロコフィエフは1939年に3曲をまとめて構想し、全10楽章を並行してスケッチしていたそうです(のちの妻、ミラ・メンデルソンの証言)。そこから完成まで、あしかけ5年がかりの大プロジェクトでした。
初演者のリレーも超豪華!
第6番はプロコフィエフ自身、第7番はスヴャトスラフ・リヒテル、第8番はエミール・ギレリス。20世紀ソ連ピアニズムの看板が順番に受け取っていきました。第7番と第8番はスターリン賞にも輝いています(スターリン賞は、当時のソ連で最高位の国家賞。芸術や科学の功績に贈られました)。
「戦争ソナタ」本人が付けた名前ではない
「戦争ソナタ」(英語では “War Sonata(s)” )という呼び名、実はプロコフィエフ本人が付けたものではありません。西側で後から定着した通称で、ベートーヴェンの「『月光』ソナタ」やショパンの「『英雄』ポロネーズ」なんかと同じ、本人の知らないあだ名です。
ちなみに第7番には、日本語ではあまり目にしませんが「スターリングラード」というもう一つの愛称もあります。スターリングラードは、第二次世界大戦で独ソ両軍が壮絶な市街戦を繰り広げた激戦地(現在のヴォルゴグラード)。第7番の先鋭的な作風と、完成・初演がちょうどこの戦いの時期に重なることからついた通称ですが、これもやはり公式のものではありません。
というのも、構想は1939年。ソ連が第二次世界大戦の戦火に巻き込まれる1941年6月より前で、第6番にいたっては開戦前(1940年)に完成しています。「戦争ソナタ」は、戦争が始まる前に生まれかけていたのです。戦争を描いた音楽と決めつけると、実像とはずれます。
では何の音楽なのか。伝記作家ダニエル・ジャッフェは、体制を賛美する明るい音楽を書かされていたプロコフィエフが、その反動として本音の感情をソナタに注ぎ込んだ、という見方を示しています。「戦争」の2文字より、こちらのほうがずっと本質に近い。表向きの顔と、抑えきれない本音。この曲たちの二面性は、生まれた瞬間から刻まれていたのかもしれません。
なぜこんなにかっこいいのか――筆者なりの3つの答え
ここからが本題。筆者が数年かけてじわじわたどり着いた「かっこよさの理屈」を、3つに分けて言葉にしてみます。
① 親しみやすさとグロテスク、綱渡りのバランス
20世紀ロシアの音楽、さらには「戦争ソナタ」なんて言われると、調性を捨てた難解な世界を想像するかもしれません。でもプロコフィエフは違います。調性も、古典的なソナタ形式も、口ずさみたくなる旋律も、ぜんぶ手放していないのです。
そのうえで、和声とリズムが要所要所で不意打ちで裏切ってくる。きれいに流れていた旋律の足元が、ふいにグニャリと歪む。「あと一歩でも歪ませたら、たぶん音楽として聴いていられない」その手前のギリギリの一点を攻めているという感じがするのです。
親しみやすさとグロテスクの綱渡りのバランス。筆者が戦争ソナタに感じる最高に「かっこいい」の正体は、突き詰めるとこの一言に凝縮されています。
② 轟音とは裏腹に、楽譜は古典派と見間違うほどシンプル――少ない音で、あの広がりを出す書法
難曲の楽譜というと、音符がびっしり詰まって紙面が真っ黒——というイメージ、ないでしょうか。ラフマニノフやリストのあれです。
戦争ソナタも、耳で聴くかぎり相当な「真っ黒」を覚悟していました。なにせ、この轟音と情報量です。
ところが、この記事を書くきっかけになった第8番。楽譜を開いてみたら、特に終楽章なんかは古典派のソナタと見間違うほど風通しがよかった(=音が少ない)のです。思わず「あれ、弾けそう」と思ってしまったほど(弾けるとは言ってない)。
もちろん曲にもよります。第7番の終楽章は和音の連打で、それなりに黒い。それでも、耳が受け取る情報量にくらべたら、楽譜の上は音がずーっと少ないのです。
では、あの轟音と広がりはどこから来ているのか。
素人なりに楽譜とにらめっこして思うのは、まず不協和音です。隣り合う音をわざとぶつけて、響きにざらつきを乗せる。音量ではなく、音圧が上がるのです。そしてリズム。拍がズレて、どこで来るか読めないから身構えられない。同じ強さでも、不意打ちのほうが痛いわけです。
あとは音域の使い方。低音の一発と高音の一刺しを離して置けば、真ん中はがら空きでも、響きは鍵盤の端から端まで届きますし、鋭い跳躍も要所で突き刺さります。間のとり方もそう。鳴らさない時間があるから、次の一撃が際立つ。そして叩き方そのもの。リズム感と相まって、まさに打楽器のように硬く速くピアノを鳴らす必要があります。
分厚く塗って音の「数」で圧倒してくるのではなく、削ぎ落としたうえで、殴ってくる。余計なものがないから、一発が速く圧がある。この機能美みたいなものにやられているのだと思います。
③ 「実をたわわに実らせた木」――近寄りがたさの正体は、豊かさ
3つめの答えは、巨匠の言葉を借ります。
第7番を初演した大巨匠、スヴャトスラフ・リヒテル。彼が第8番と出会ったときの話が、なんとも励まされるのです。
作曲家同盟の集まりで、プロコフィエフが自作の第8番を弾きました。リヒテルは一度聴いただけで、並外れた作品だと分かったといいます。ところが「君も弾く気はあるか」と聞かれて、答えに窮してしまった。
理由は曲ではなく、弾き手のほうにありました。このころのプロコフィエフはもう演奏に難があり、かつての確信は失われ、手は鍵盤の上を頼りなくさまよっていた。要するに、曲の姿がちゃんと見えなかったのです。
プロコフィエフはもう一度、同じ曲を弾きました。2度目を聴いて、リヒテルはこの曲を学ぼうと固く決心します。すると、誰かがせせら笑ったそうです。
「あんなの完全に時代遅れだ! 本気で弾く気か!?」
しかしご存知のとおり、笑った人の名前は残っていません。残ったのはこの曲のほう。
そしてリヒテルは、後年こう書き残しています。
プロコフィエフのソナタのなかで、これがもっとも豊かな作品である。複雑な内面を持ち、深く、対比に満ちている。時に、時間の容赦ない歩みに身をゆだねるように、感覚が麻痺していくようでもある。もし近寄りがたく感じられるとすれば、それはこの豊かさのせいだ。実をたわわにつけて、枝がしなっている木のように。
ブルーノ・モンサンジョン『リヒテル』より(要旨)
第8番は、第4番・第9番と並ぶ生涯の愛聴曲になったとも書いています。一度で決められなかった曲が、最後には3本の指に入ったわけです。
この「近寄りがたさの正体は豊かさ」という見立てに、筆者はやられてしまいました。
最初に3曲がぜんぶ同じ曲に聞こえたのも、要するに、実っているものを受け取りきれていなかっただけなのだと思います。最初にわからないのは、耳が悪いからではありません。実りが多すぎるからです。
おもしろいのは、まさに②の裏返しになっていること。譜面の上に書かれた音は、100年以上前のもの見間違うほど少ない。それなのに、受け取るものは多すぎて手に負えない。
そしてこの重さは、いちど波に乗れてしまえば、そのまま得になります。聴くたびに新しい実が見つかるし、毎日のように再生しても、尽きる気配がありません。
とっつきにくさと、飽きの来なさ=かっこよさ。この3曲においては、同じ性質の表と裏なのだと思います。
3曲それぞれの「かっこいい」
第6番:まるで「戦車」、戦争ソナタの入口
戦争ソナタでは唯一の4楽章制。攻撃的な両端楽章の間に、軽妙でシニカルな舞曲と、歌う緩徐楽章が挟まっていて、暴力と諧謔が交互に顔を出します。
冒頭からいきなり、有無を言わさず蹂躙されるような衝撃的な3度の連続。時代的に”戦争”からは一番離れているのですが、「戦車が向かってくる様子を描いた」と言われても違和感がないほど攻撃的。この下降するモチーフは1楽章を通して、さらには4楽章でも顔を出し、このモチーフで曲を閉じるほど重要な役割を果たし、曲全体の統一感があります。
特に2楽章、「これぞプロコフィエフ」という陽気で上品かつ独特な和声がクセになります!
無窮動な低音から始まり、とにかくリズムに主導される終楽章は文句なしでかっこいい!ハ長調で突然差し込まれる場違いに明るいフレーズが逆に気味悪さを強調させています。そして上述のとおり、1楽章冒頭の3度の下降モチーフが静かに目を覚まし、そこからはもう1段、2弾とギアが上がって、コーダはもうカオス笑
第7番:凝縮の3楽章、伝説の終楽章 “Precipitato”
3曲でおそらく最も有名なのが第7番。17分前後に凝縮された3楽章で、なかでも終楽章 “Precipitato”(プレチピタート)は、単独で演奏されるほどの人気です。
かくいう筆者もこの曲(特にこの3楽章)を最初に認知し、聴いた瞬間から惹き込まれていた思い出深い曲です。
個人的には一番「打楽器」の側面を感じます。無調的な1楽章のコーダでも同音連打や鋭い音の塊を感じます。
そして何より不気味なのが、この2楽章がすごく安定していること。気だるげな半音階で始まるメロディが、内声の二重唱で展開されていく感じ。そしてもちろん不穏な空気を携えながらですが、絶頂まで上っていく心地よさがあり、調性的にも安定感があります。
そしてそして衝撃的な第3楽章、7/8拍子という奇数のリズムのまま、最後まで突進し続けます。ピティナには『「ロシア的なトッカータ」、あるいは「ロシア的なスケルツォ」』と書いてありますがまさにそんな感じ。今にも転がり落ちそうなのに、絶対に転ばない。実際、プロの演奏でも崩壊しかねない(していることが多い)危うさの上を、全速力で走り抜けていく音楽です。①で書いた綱渡りが、リズムの側で起きているとも言えます。
さらには割とわかりやすい変ロ長調で、ゾクッとする和声も差し込まれながら、メロディとしてもとってもかっこいい曲です。ジャズのような洒脱さも感じますね。
そして特に、コーダの入口。まぶしいハ長調が突然ぶつかってきます。ずっと変ロ長調の再現部が森がって今にも崩壊しそうなところで、いきなり目の前の世界が変わる。
そこから、右手は半音下、左手は半音上(細かい話は省略)の噛み合わない和音を同時に叩きはじめます。視界がふさがれるような、もやもやした時間。そこを抜けた瞬間、変ロ長調へ着地します。
盛り上がって崩壊しそう→まぶしい方へ連れ出され→また揉みくちゃにされ→そして帰ってくる。ここが、たまらなく気持ちいい。
逸話も強烈です。初演を任されたリヒテルはこの曲のあまりの魅力から、わずか4日で暗譜して弾ききったと本人が回想しています。
ちなみに筆者はこの終楽章の譜読みに挑戦して、鉄壁の七拍子と跳躍、そして分厚い和音に跳ね返されました笑
第8番:最長にして最も叙情的、豊かさの果て
筆者がいま、いちばん深くハマっているのが第8番で、この記事を書こうと思ったきっかけとなった曲。
プロコフィエフの全ピアノソナタ中で最長、そして唯一、ゆったりした長大な1楽章で始まるソナタ。第1楽章は夢か現か、旋律で静かに開き、内省的であり哲学的。ただその美しさの足元がときどき歪む。この配合が3曲でいちばん繊細で、いちばん中毒性があります。
長大な両端楽章に挟まれた短いメヌエットは、彼の劇音楽のようにちょっと茶目っ気があって親しみやすい、束の間の休息です。
そして終楽章のヴィヴァーチェ。ハマっているのはまさにこの楽章で毎日のように再生しています。
冒頭、うねる分散和音の主題が走り出したら、もう止まりません。高速の音階と分散和音が押し寄せる、タランテラ風の無窮動、しかし曲を通して調性は安定しており聴きやすい。
そしてハッとする中間部、宮廷のワルツなのか軍隊の行進曲なのか、とにかく異質な空間へふっと飛ばされます。そこから冒頭の主題が戻ってきてクライマックスへ。ここがもう目がくらむほどの情報量できらびやか!!!圧倒されます。
しかし、②で書いた「楽譜を開いてびっくり」の現場も、じつはこの楽章でした。耳ではあんなに鳴っているのに、譜面は音で聴くイメージからは驚くほど音数が少なく整然としていて、思わず「弾けそう」と思ってしまったほど(弾けるとは言ってない)。リヒテルの「実をたわわに実らせた木」は、まさにこの曲のための言葉。
迷わないための「聴く順番」
3曲あわせて70分超え。いきなり全部はしんどいと思うので、筆者が実際にハマっていった順番をおすすめしておきます。
- 第7番 第3楽章(約3分):まずは何と言ってもここ!とてつもなくカッコいい七拍子で、しばらくこれだけリピートが続くこと間違いなし。
- 第8番 第3楽章(約10分):圧倒的な情報量ときらびやかさ、充実した内容と華麗な技巧を同時に楽しめる傑作です。
- 第7番 全曲(約17分):終楽章が体に入ったら頭から。3楽章の衝撃がまた違ったふうに聴こえてきます。
- 第6番 全曲(約25分):冒頭の衝撃から「戦車」体験を。ここまで来れば立派なプロコフィエフ通!
- 第8番 全曲(約30分):すぐに理解できなくて問題なし笑。ただ何回目かの「波」に乗れたらもうこの曲の沼から抜けることはできません!
途中で跳ね返されても大丈夫。いったん離れて、忘れた頃に「また聞いてみようかな」の波が来たら戻ってくる。それで順調です。
名盤――曲ごとに一枚ずつ
3曲それぞれ、筆者が実際に聴いているものを一枚ずつ挙げます。たくさん並べても選べなくなるだけなので、一曲一枚で。
第6番:ルガンスキー
この曲を初演したのは、プロコフィエフ自身でした。1940年4月8日、モスクワのラジオ放送で。
ただ、その放送の音源が残っているという話は見つけられませんでした。作曲者本人の第6番は、聴けないままのようです。
そこで筆者がいま聴いているのはニコライ・ルガンスキー盤。第4番との組み合わせで、バレエ「ロミオとジュリエット」からの10の小品も一緒に入っています(Warner Classics、2003年録音)。
第7番:ポリーニ
一番のおすすめは? と聞かれたら、筆者は迷わずこれを挙げます。筆者の刷り込み盤。
マウリツィオ・ポリーニが1970年代にドイツ・グラモフォンへ残した第7番は、終楽章の一糸乱れぬ推進力で「鋼鉄」の代名詞になりました。プロでも崩壊することが多いあの突進を、完全な制御のまま走り切った演奏です。最初にこれを聴いてしまったせいで、他の演奏をなかなか受け付けなくなりました(罪な男ですほんとに)。同じく収録されている超難曲:ストラヴィンスキー「ペトルーシュカからの3楽章」も鮮やかで、他の演奏が物足りなくなりますのでご注意!
もう一枚挙げるならイェフィム・ブロンフマン。ソナタ全曲録音のなかの第7番で、こちらもなかなかいいと思います。
そしてこの曲を初演したのは、③に登場したスヴャトスラフ・リヒテルその人です。1958年にメロディアへ入れたスタジオ録音が残っていて、各社から繰り返し再発されています。初演者本人の記録として。
第8番:ブロンフマン、そしてコンクールの映像で
第8番もブロンフマンで聴いています。第7番と同じ全曲録音に入っているので、2曲まとめて手に入るのが嬉しいところ。
初演を担ったのはエミール・ギレリス。1944年12月30日のことでした。ギレリスはこの曲を生涯くり返し取り上げていて、録音も複数残っています。なかでも1974年、ウィーン楽友協会でのものが代表格とされ、「束の間の幻影」からの9曲と組み合わせてCD化されています。
そしてもう一つ、映像で聴くのもおすすめです。
冒頭に書いたとおり、筆者がこの3曲と出会い直してきたのはコンクールの配信でした。いまも新しい世代がこの曲を弾いている、というのが、なんだか嬉しいのです。
まずはアンソニー・ラティノフ。2024年モントリオール国際、2023年ブゾーニ国際でもこの曲を弾いていた若手で、筆者がずっと追いかけているピアニストです。本人のチャンネルに全曲が上がっています。
もう一本はヴァレール・ビュルノン、2025年エリザベート王妃国際音楽コンクールの本番から。コンクール公式チャンネルの配信です。
弾いてみたい人へ――楽譜の選び方
聴いているうちに弾きたくなってしまった人(筆者です)のために、楽譜情報も。
- 全音ピアノライブラリー「プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第6番・第7番」(佐々木彌榮子 校訂)
日本語の背景解説が充実していて、初めての1冊に最適。ただし収録は6番・7番のみ - ブージー&ホークス「ピアノ・ソナタ集 第2巻(第6〜9番)」
世界標準の版。注釈や運指のない素の譜面で、印刷が大きく読みやすい。第8番を弾きたいなら実質こちら一択です
ひとつだけ正直な忠告を。この3曲の難しさは、音符の数ではなく身体の難しさです。楽譜が意外と読めてしまうぶん、「弾けそう」と思わせてくる。その罠に、筆者は第7番で一度はまりました。それでも楽譜を開く価値は保証します。あのスカスカの紙面から、どうやってあの轟音が立ち上がるのか。種明かしを自分の手で確かめられるのは、弾く人の特権です。
おわりに
まずは第7番の終楽章、3分だけ。入口はそこに開いています。
すぐに全部わからなくても大丈夫です。それは実りが多すぎる木の前に立っている、というだけのこと。「また聞いてみようかな」の波は、忘れた頃にちゃんと来ます。そのとき、この記事が戻ってくる場所になれたら嬉しいです!
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